2009年6月17日水曜日

もしも・・・

 江戸時代、五人組連座制、絵踏み、寺請制度、などによりキリシタンを弾圧し、一説によると、殉教者は20万人~30万人とも言われているそうだ。まだ明らかにされてないものも含めると、さらに数は増えると思われるが。しかし、これほどの出来事が私たちは知らされてなかったのではないだろうか。ローマのコロッセオには十字架が建っているという。もしも、殉教地に、殉教者の数だけ十字架が建っていたとしたら、私たちの意識は随分と違っていたのではないだろうか。
           『日本キリシタン迫害史』  津山千恵著
           『美和町史 人物 一 』

2009年6月13日土曜日

コンスタンチノ(7)  


 当時、「~日本人イルマンは零名以外の名を用いてはならない。~」というイエズス会の規定があったようで、コンスタンチノは牧者、伝道師として働いていたようなので、日本名は残されてないのだろうか。教会堂の守番として、十戒とキリシタンの教え、祈り等を教えることができたと言うが、本当に農夫だったのだろうか。やがて天で明らかに!それにしても、この地方ー愛知県は不思議だ。キリシタンを擁護した信長(勝幡生まれ)、迫害した秀吉、家康(三河)、加藤清正、そして寺沢半三郎もともに愛知県からでている。
             けれども、私たちの国籍は天にあります。
                                 ピリピ3:20

2009年6月11日木曜日

コンスタンチノ(6)


 尾張(美和町)花正地区で蒔かれた福音の種は、清洲(現清須市)、一宮、犬山、江南、美濃(岐阜)へと広がり、根を張っていった。最初、尾張藩はキリシタンの取り締まりは消極的であって、緩やかであったそうで、そのためキリシタンは増えていき九州についで多かったと言う。が、取り締まりも次第にきびしくなり、何千人という殉教者がでた。宗門改めが年2回実施されたのは天草と尾張だけだそうだ。
       『青山玄教授退任記念 キリシタン論文集 歴史・文化・言葉』より
       『美和町史 人物 一』より

2009年6月6日土曜日

叫び!

 ふと、思い出したことがあります。主と出会った頃のことです。私の前に大きな問題が起きた時、苦しくて苦しくて呻いてました。自分を責めても、人を責めても、我慢をしても何の解決もなく、毎日暗闇がどんどん深くなって絶望の日が続いてました。そんなある日、“神様、助けて”と心から叫んでいました。しばらくしてクリスチャンに教会に誘われ、イエス様を知り、救われました。状況は何も変わらず。でもなぜか、うれしいのです。心に喜びがあふれてくるのです。そうして、周りの人達を教会に誘ってました。神様は私の叫びを聞いて助けてくださったのですね。
           「主の御名を呼び求めるものは、だれでも救われる。」のです。
                                     ローマ10:13
                                      

2009年6月2日火曜日

私の助けは、天地を造られた主から来る。

 嫌なことや失敗が続くと、自分を責め、すっかり落ち込んでしまいます。悪いことばかりに目がいってしまいます。不安と恐れが代わる代わる襲ってきます。なぜ、どうしてと空回りばかり。“誰か助けて”ーすると神様は“私を感謝しましたか”といわれます。そうです感謝と賛美です。神様をほめたたえます。そして失敗を感謝します。できない自分を、失敗した自分をそのまま感謝し続けていると、失敗の原因が見えてきました。そうだったのかって。あとは悔い改めて感謝して祈ります。すると平安がきました。同じ失敗を繰り返さなくてすみます。失敗に引きずられなくてすみます。恐れから萎縮しなくてすみます。神様、賛美と感謝を教えてくださってありがとう。これがあるから歩いていけます。
            神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された
           人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくだ
           さることを、私たちは知っています。
                              ローマ8:28

2009年5月29日金曜日

コンスタンチノ(5)

 長崎で殉教した26聖人の中に尾張(愛知県)出身者がいます。最年少ルドビゴ茨木とその父パウロ茨木、レオン烏丸(姓は茨木、パウロ茨木の弟)はこの美和町花正地方の出身と考えられるそうです。とすると、コンスタンチノとなんらかの関連もあったようにおもわれます。この地域のキリシタン関係の資料が見つかってないそうなので断定はできないのですが。主のときに発掘されることでしょう。殉教はリバイバルの種。ここにも主の栄光が現されることを願い、祈っています。
                       (『美和町史 人物 一 』)
                       (『二十六聖人と長崎物語』 結城了悟著)より
 

2009年5月28日木曜日

恵み

 先週の土曜日、夕飯の準備をしている時うっかりしてゆでこぼしの熱湯を左手の甲にかけてしまいました。あっと言う間の出来事でした。赤くなり、ジンジン、ヒリヒリしてきたので水道水で時々冷やしながら、感謝をし、いやしの祈りを何回かして、ばたばたとあわただしく準備を続けました。夕飯が終わる頃には大分痛みが収まってきました。皆が食事を終えて片付ける頃、ふと左手をみると赤くないのです。ヒリヒリとした痛みもとれてました。神様が完全にいやしてくださいました。ハレルヤ!すばらしい神様、感謝します。
       キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
                                       Ⅰペテロ2:24