尾張信仰者たちの歩みー殉教、そしてリバイバルへー
信仰者たちの歩みをたどりつつ、 殉教のこと、リバイバルのこと、 日々の出来事などをつづります
2011年3月22日火曜日
けれども、あなたは
わが神、わが神。
どうして、私をお見捨てになったのですか。
遠く離れて私をお救いにならないのですか。
私のうめきのことばにも。
わが神。昼、私は呼びます。
しかし、あなたはお答えになりません。
夜も、私は黙っていられません。
けれども、あなたは聖であられ、
イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
詩篇23:1~3
自然をまえにして、私たちは無力です。私たちを愛し、その一人子、イエス・キリストを私たちの罪の身代わりとして十字架にかけられました。その愛と憐みに富む神、主に祈り、叫びます。
2011年3月19日土曜日
み言葉が力に・・・
神を愛する人々、すなわち、
神のご計画に従って召された
人々のためには、神がすべての
ことを働かせて益としてくださる
ことを、私たちは知っています。
ローマ8:28
神様のみ言葉は真実です。信じて祈ります。
2011年3月17日木曜日
お祈りしています
神はわれらの避け所、また力
苦しむ時、そこにある助け。
詩篇46:1
とても大変なことが起きてしまって。言葉もなく、祈ろうとすると、涙があふれてきます。TVから流れてくる様子に心打たれます。どうか神様、助けてください。一人でも多くの方の命が救われますように。お一人お一人の方の心の叫びに主が答えてくださいますように。
2011年3月4日金曜日
時津にて
ここは、殉教者たちが冬の夜の海の上で最後の夜を過ごした場所です。殉教者たちは、彼杵から船に乗せられて時津まで来ましたが、船から降りることができませんでした。空港からここまで船が出ています。晴れた日は穏やかな暖かい日差しに海は明るく輝いていますが、
2月4日、冬の夜の海は、どんなだったでしょうか。
「わが父よ。できますならば、この杯を
わたしから過ぎ去らせてください。しかし、
わたしの願うようにではなく、あなたの
みこころのように、なさってください。」
マタイ26:39
2011年2月22日火曜日
彼杵にて
ここは、リーダーのペテロ・バプチスタ神父が殉教をまえにして、これからの日本の将来を思って涙した所です。その涙の意味を知らない役人に、死ぬのが怖くて泣いていると誤解されていることを知ると、「まだキリストを知らない人に、つまずきを与えたくない」と涙を止めたそうです。
殉教、迫害のあった場所、関係する場所・・・思えば暗く、悲しみの場所のような気がするのですが、ここは底抜けに明るく、穏やかな空気が流れているのです。不思議な場所です。
『殉教』(イザヤ木原真著)より
なくなる食物のためでなく、いつまでも保ち、
永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。
ヨハネ6:27
2011年2月12日土曜日
山本村で
ここは、四百数十年前、26聖人の中の一人、ルドビゴ茨木が「わしの養子になれ」という寺沢半三郎の誘いを断って、殉教を選んだ佐賀県唐津の山本村です。12歳の少年が「キリストを捨て、永遠のいのちをつかのまの命とかえることはできません」「お奉行さまこそ、キリストを信じて私と一緒にパライソである天国へ参りましょう」と逆に福音を語り、伝道するのです。
本気で信じているでしょうか。天国を、永遠の命を、天に報いがあることを。イエス・キリストの救いを、十字架を、赦されていることを。・・・思いを探られます。日々、主を選び続けることができるでしょうか。
『殉教』(イザヤ木原真著 み声新聞社)より
けれども、私たちの国籍は天にあります。
ピリピ3:20
2011年1月31日月曜日
目をさましていなさい
2月5日は日本で始めて26人のクリスチャンが長崎の西坂で十字架刑をうけ、殉教した日。26聖人殉教記念日です。その中には12歳の子供や宣教師もいました。この尾張の地からも最初の殉教者がでています。日本の殉教者は20万から100万いたとも言われています。歴史の中でぼんやりとは知っていても、クリスチャンになった今は、その重みがひしひしと伝わってきます。クリスチャンゆえにこれから起こるであろう迫害、困難の中で喜んで、天の喜びに満たされて信仰を守っていけるでしょうか。クリスチャンとしての使命をきちんと果たして天に帰ることができますように。これからの歩みが主によって守られますように。しっかりと目をさましていることができますように。
これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。
約束のものを手に入れることはありませんでしたが、
はるかにこれを見て喜び迎え、地上では旅人であり
寄留者であることを告白していたのです。
へブル11:13
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