2011年9月2日金曜日


   これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。
   約束のものを手に入れることはありませんでしたが、
   はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり
   寄留者であることを告白していたのです。
                       へブル11:13

 今日は、美和町(あま市)で礼拝と神学校がありました。春のゴスペルコンテスト以後、賛美の臨在が徐々に深まっているように思えます。礼拝の中で、主の語りかけや慰め、祈りの答えをうけます。主の臨在に感謝します。四百数十年前、クリスチャン村として迫害の中を生きた信仰者の祈りが今も地下水のように脈々と流れているように感じられます。

2011年8月25日木曜日

心の一新によって




   この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、
   神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、
   神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえるために、
   心の一新によって自分を変えなさい。
                      ローマ12:2

 お久しぶりです。お元気でしたか。
6月中旬に、階段を踏み外して背中、腰を強打!
すぐに感謝して、祈って・・・。でも、ずいぶんと痛みが続いて。心もなえてしまって。忘れていました、痛みにも弱かったことが。
心機一転。これからやってくる艱難、迫害から守られるように、信仰を落とすことのないように真剣に祈らなければ・・・・・と強く思わされました。

2011年6月28日火曜日

希望


     主を喜ぶことは、
     あなたがたの力であるから。
               ネヘミヤ8:10
        
 先日、名古屋市内の老人介護施設でコンサートがありました。いつもよく歌っている「永遠の愛」をつくったトルーバインをゲストとしてお招きしてのコンサートでした。この「永遠の愛」が生まれたいきさつを話してくださいました。深い臨在がそそがれました。そのお証を聞きながら、ふと、今はもう成人した息子のことを思い出しました。生まれて三日目に,突然小児科へ入院となりました。医者は最悪を想定して言います。それをききながら、なすすべもなく、しばらくの間、呆然自失の状態でした。幸いにも、無事退院することができ、三年間要観察で、定期検診に通いました。「元気でさえいてくれたら」と思いつつも、このままで大丈夫だろうか、後遺症が出たらどうしようか・・・などと思い煩っていました。この時、クリスチャンだったら、信仰をもっていたら、もっと対応が違っていたでしょうに。祈りつつ、感謝し、いやしを求めつつ、すべてが益になることを信じ、希望をもって毎日過ごせるって素敵ですよね。

2011年5月29日日曜日

困った時は、


    求めなさい。そうすれば与えられます。
    探しなさい。そうすれば見つかります。
    たたきなさい。そうすれば開かれます。
    だれであれ、求める者は受け、
    捜すものは見つけ出し、
    たたく者には開かれます。
                   マタイ7:7,8
 最近、困った時に、神様、助けてください。どうすればいいですかーと、祈ると、答えが返ってくるのです。
 先日、コピーのために娘の印刷機のインクのカートリッジをいれかえようとしたら、その場所がわからずに困ってしまいました。機会音痴の私は、周りを見てもわからず、四苦八苦してました。時間も過ぎていってしまうし、娘は仕事中で聞けないので、こんなときは、まず感謝をして祈りました。神様、どうすればいいですか。今日印刷をしなければならないので、インクをいれかえたいのです。助けてください。すると、電源をいれてみればいいという思いが来ました。電源を入れてみました。すると、図と一緒に案内が出たのです。インクをスムーズに換えることができ、コピーができました。神様、感謝します。困った時の神様頼み。これからもよろしくお願いします。

2011年4月29日金曜日

信仰のたてあげ


      すべての事について、感謝しなさい。
                    Ⅰテサロニケ5:18

 先日、聖会がありました。問題や困難は信仰のたてあげのため。信仰の対応をして、信仰の歩みをする時、神の素晴らしい勝利が現されるというメッセージでした。とても励まされました。今までは、なぜこんなことが起きたのか、自分が悪いからこんなことが起こった・・・といってくよくよしたり、自分を責めたり、人を責めたりということが多かったのですが、クリスチャンになって、全てを感謝すること。すべてが益に変えられる事を知って、ずいぶん開放されました。神と神の言葉を信じる・信仰を持つということは素晴らしいですね。

2011年4月7日木曜日

報いてくださる方


信仰がなくては、
神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、
神がおられることと、
神を求める者には
報いてくださる方であることを、
信じなければならないのです。
                 へブル11:6


 神と神の言葉を信じる立場にたつところから、クリスチャンとしての歩みが始まり、神様の恵みを受け、私たちの人生が祝福されたものへとかえられていきます。マイナスがマイナスのままで終わることは決してありません。

2011年3月31日木曜日


 何も思い煩わないで、
あらゆるばあいに、
感謝をもってささげる
祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を
神に知っていただきなさい。
 そうすれば、
      人のすべての考えにまさる神の平安が、
      あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって
      守ってくれます。
                     ピリピ4:6,7

ともにいてくださる主に期待して、祈ります。