2009年5月14日木曜日

コンスタンチノ(3)

 美和町の花正で自宅を教会として、非難、中傷、迫害の中伝道を続けキリシタン村といわれるまでになり、毎年京都の宣教師のいるところに村人たちを連れて行ってたという。1578年には初めて宣教師オルガンチィーノ神父が、1587年には宣教師パシオが花正を訪問。コンスタンチノも宣教師にかわって、尾張、美濃へと派遣されその働きは、清洲、一宮、美濃へと広がっていった。1591年頃亡くなったようだ。1597年の2月5日、日本26聖人の殉教が長崎でおきている。この中に尾張出身の人が5人いると言う。この時代、これほどの情熱を持っての伝道、死をも恐れない強い信仰は、どこからきたのだろうか。どのようにして持てたのだろうか。
                                ( 『美和町史 人物 一』より )

       イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、
      地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたが
      たは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の
      御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなた方に命じておいた
      すべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わ
      りまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 
                               マタイ28:18~20