2009年8月28日金曜日

日本のシンドラー(1)


 杉原千畝元リトアニア領事代理は、1940年8月、迫害から逃れるユダヤ人に対して自分の判断で日本通過ビザを発給し約6000人のユダヤ人を救った外交官として知られている。1900年1月1日岐阜県加茂郡八百津町で生まれ、父親の仕事の関係で旧制名古屋第5中学校(現瑞陵高校)を卒業。ロシア語を学び、モスクワ大使館で働くのが希望だったが、ソ連側に入国拒否され、1939年、リトアニア日本領事代理として幸子夫人と赴任。いつのころか、夫人もともにロシア正教会の洗礼を受けている。退官後、ニコライ学院教授として教鞭をとった時期もある。1940年7月、政府に要件を満たしてないものにも緊急のビザ発給の許可を求めたが拒否され、日本領事館の閉鎖通告を受けるが、25日には独断で無制限の日本通過ビザ発給を決行。再三の退去命令を受けながらも、約1ヶ月間ビザを書き続けた。ビザに貼る印紙が無くなると領事特別許可書を発行。列車でベルリンへ発車寸前まで続いたと言う。この様子はビデオ『ビザと美徳』に描かれている。
                              参考 ウィキペディア
                                 『ビザと美徳』
                                 HP「人道の港敦賀ムゼウム」等
               昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に
                                 申命記33:27