2009年8月29日土曜日

日本のシンドラー(2)



 千畝氏は、その後領事官としてヨーロッパ各地を歴任。終戦後ソ連で1年間収容所生活を送り、1947年帰国、外務省を依願退職。-やめさせられたとの説もあるが、政府の公式見解は、「ビザ発給の件での処分退職の記録は存在しない」そうだ。1968年夏、ビザ発給をうけた元ユダヤ人難民との再会。1969年イスラエル宗教大臣より勲章をうける。1985年1月18日「ヤド・バシェル賞」(諸国民の中の正義の人の意)をうけ、11月にはエルサレムの丘での記念植樹祭と顕彰碑の除幕式が執り行われ、1986年7月31日死去された。「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれないが、人間としては当然のこと。私は彼らを見殺しにすることはできなかった。」「私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く。」の言葉が紹介されている。

                人に従うより、神に従うべきです。
                              使途の働き5:29