2010年6月26日土曜日

私たちは、枝です。


2年前に植えた桔梗の花がもうすぐ咲きそうで、楽しみにしていました。が、周りの草取りに夢中になって、ふと気がつくと茎が折れてました。あわててコップに差して花が咲くのを待ちましたが・・・・しばらくすると枯れてしまいました。残念です。去年、台風で根っこから倒れた皇帝ダリアを起こして棒で支えたら、見事に花が咲きました。根がついていたからでしょうね。私も教会から離れては何もできません。神さま、いつも守ってくださってありがとうございます。

    わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。
   人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、
   そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは
   何もすることができないからです。
                              ヨハネ15:5

2010年6月12日土曜日

出会いの時


 すべてに時があるのですね。神さまは私たちの人生の中に出会うチャンスを置いて下さっています。救われてすぐ、なぜもっと早く神さまは救ってくださらなかったのですか、と訴えたことがありました。そうしたら、こんなに苦しまなくてもよかったのに・・・と。でも、よくよく振り返ってみると、何度か出会うチャンスがありました。私の心が閉じていたのですね。残念です。最近よく写真を撮るようになってから、自然の中に神さまの御手があることを強く思わされます。自然の中で教えられています。種をまく時、植える時、実のなる時、収穫の時。同じように、私の人生にも時があるのですね。神さまの手の中にあって最善の人生を選ぶ時を与えてくださって感謝いたします。

   実が熟すと、人はすぐにかまを入れます。収穫の
  時が来たからです。
                          マルコ4:29

2010年6月3日木曜日

恵みの中でいやされて・・・


 祖父母がとても厳しかったので、家の中でみんなが緊張してました。しつけという名の虐待だったのかもしれません。やさしいところもあったのですが。今でも人の言葉に過剰反応してしまいます。人に迷惑をかけるな、世話になるな・・・できない、弱い、間違い、失敗はだめという環境の中で、幼い頃は体が弱かったので最悪でした。恵みをうけるなんてとんでもないこと。弱い、できない自分を認めなければならないから。でも、救われてほっとしました。弱くていい、できなくていい。ありのままをうけいれてくださる。失敗したら、やり直せばいい。人の言葉に傷ついて苦しんできたけれど、今は教会にドップリ浸かって神様の愛と恵みをうけ、癒され解放されていっています。しかも、素直に恵みを受け取れるようになってきました。神さまは一方的に恵みを注ぎ、満たしてくださいます。神さま、感謝します。

       わたしの目には、あなたは高価で尊い。
       わたしはあなたを愛している。
                    イザヤ43:4