2010年12月25日土曜日

元気になれます


 このシーズン、いろいろな所でゴスペルコンサートが行われています。ゴスペルを通して福音が全世界に伝えられるといいですね。ゴスペルを聞くだけで元気になり、歌うともっと元気になり、心の内側から喜びが溢れてきます。多くの曲の中から、自分にぴったりの曲に出会うと、もう最高ですね。最近また好きな曲が増えてきました。神様、すばらしい歌をありがとうございます。

          けれども、あなたは聖であられ、
          イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
                             詩篇22:3

2010年12月15日水曜日

すべての事について感謝しなさい


 問題を抱え弱り果てていた時、神様に出会い、信じ、救われ、そして解決を求めました。祈っていただいた時“その問題を感謝しなさい”だけでした。その答えを聞いて、非常にショックを受けました。きっと、それはこうだからこうした方がよいでしょう、それはこうすればすぐに解決しますなどと言った答えをいただけると思っていました。あのナアマン将軍のように・・・。この問題さえ解決すれば、私は幸せなのにと思っていました。でも、神様の解決方法は違っていました。この問題を通して、感謝することの恵みを受けることができました。まず、なによりも自分が変えられました。そして生活の中で、家族の中で、子供たちの成長にあわせて。問題の中にあっても、今はとても平安です。そして、主の時には必ず最善の解決、道が開かれるという信仰も与えられ、心穏やかに日々すごすことができる秘訣を学びました。神様、あなたのみ言葉の真実、愛の深さに感謝します。

        乏しいからこう言うのではありません。私は、
       どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
                                ピリピ4:11

2010年12月3日金曜日

神様、どの道を通ればよいでしょうか。


 午後から遠出をすることにしました。いつもの慣れた帰り道ですが、不安になってきました。それで、祈ることにしました。まず、感謝をして、神様、いつもの道は慣れているので走りりやすいのですが不安がわいてきます。どうすればよいですか。運転を守ってくださいと祈ってました。すると、帰りは別の道を通りなさいと言われたような気がしました。もう一つ別の道は、少し遠回りで、渋滞しそうで、以前曲がる所が暗くて間違えてしまって、地理に不案内なので夜だと、もうお手上げですが、どうすればよいでしょうかとずっと祈ってました。でも、帰りはこの遠回りの道を通ることに心が落ち着きました。すると、どうでしょう。車が多かったわりには速く街中を抜けることができ、車が多かったためテールランプが道案内の役目をしてくれて、曲がる所一帯は街灯ができていてとても明るくなっていて、道路案内の看板もはっきり見えてスムーズに帰ることができました。
 神様、一番よい道を教えてくださってありがとうございます。あなたの守りを感謝します。

    何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと
   願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
    そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの
   心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
                                 ピリピ4:6,7

2010年11月28日日曜日

主の祈り


イエス様が弟子たちに祈りの手本をしめしてくださいました。主の祈りを祈る時、いつも心を探られます。マタイの福音書にある主の祈りの後に、もし人の罪を赦すなら・・・とあります。最初の頃は赦すことができず、七転八倒していました。そして赦せない自分を責めてみたり・・・。でも、感謝することを教えられてからは、赦せないことをも感謝していくことにしました。自分の心に正直になって、ありのままを感謝して受け入れていくと、“全てが益となる”というみ言葉が信じられるようになり、信仰が与えられて、赦せるようになっていくのです。神様の方法って不思議ですね。ありがたいから感謝もしますが、むしろありがた迷惑なことでもいやなことでも、“すべて感謝しなさい”と神様が言われるから感謝します。そうすると思ってもみなかった神様の助け、恵み、祝福がやってくるのです。神様、すばらしい恵みをありがとうございます。

         天にいます私たちの父よ。
         御名があがめられますように。
                     マタイ6:9

           

2010年11月20日土曜日

お久しぶりです


 紅葉が街中でも見られるようになりました。運転中でも街路樹に目がいってしまいます。約一ヶ月お休みしていました。心新たに、パソコンに向かいます。
 以前から欲しかった小型の聖書が与えられました。とてもうれしくて感激しています。神様、感謝します。祈りが聞かれると、とてもうれしいですね。だから、もっともっと祈ります。感謝して、賛美して、喜んで主をほめたたえます。

      主に感謝するのは、良いことです。
      いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。
      朝に、あなたの恵みを、
      夜ごとに、あなたの真実を言い表すことは。
      十弦の琴や六弦の琴、
      それに立琴によるたえなる調べに合わせて。
                          詩篇92:1,2,3

2010年10月24日日曜日

ザンビアのこどもたちに神様の愛を


 先日、ザンビアから一時帰国中のシオン・おうこ・ムタレ宣教師による報告会と講演会がありました。親に見捨てられた子供。HIVで親を亡くし親戚をたらいまわしにされた子供。貧困による飢餓の中にいる子供。言葉や知識として知ってはいても、現地で実際に助ける働きをしている方からの話は、とても衝撃的で、身近に受け取ることができます。衣食住の提供だけでなく、心のケアや成長にしたがって一人一人にきめ細かな対応。電気ガス水道もない、買う食べ物もない、作るしかないところで、神様からの使命を果たすべく、主とともに、嬉々として働きをしています。世界中の子供たちに神様の愛が届きますように。

        「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、
        これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちの
        ひとりにしたのは、わたしにしたのです。」
                               マタイ26:40

2010年10月9日土曜日

清洲越え


 今、名古屋城開府400年で、いろいろなイベントが催されています。清須市(清洲町と須ヶ口町の合併により新市となった)も、清洲返りのイベントが催されています。尾張の要所として一時期ここが中心地として栄えていたこの時代、信長の居城となった時、クリスチャンも擁護されて増えていきました。清洲にも多くのクリスチャンがいて、やがて、京都、大阪へと移って主の働きに加わった者も多くいるようです。26聖人のなかに尾張出身者が5人いるのもうなずけます。先日、なんでも鑑定団というTV番組が、清洲や美和にもやってきて番組収録されました。今、埋もれている歴史が掘り起こされようとしているのかもしれませんね。

              主は天と地と海とその中のいっさいを造った方。
              とこしえまでも真実を守り、
              しいたげられる者のためにさばきを行ない、
              飢えた者にパンを与える方。
              主は捕われ人を解放される。
                              詩篇146:6,7

        
        

       

2010年9月28日火曜日

みことばによって


 神様を信じ救われてから、ただひたすら聖書が読みたくて、恋しくて、他の本を読む気が全然なくなってしまったのが自分でも不思議でした。何度も読んでいくうちに、目をおおっているうろこ(のようなもの)がボロボロはがされていくようで、神様の不思議な世界が少しずつ見え始めました。今まで信じ込んでいた世界が、実は、神様の目から見ると全然違ったものだったり、間違っていたり、信仰によって結果がかわったりとか・・・。仏教の世界で育った者にとっては、本当に不思議な世界です。赦されている事、愛されていることを知るたびに、渇ききった心が一滴、一滴とうるおされてきました。聖書を読むたびに、神様と出会うたびに神様の深い愛に感動し、元気になります。神様“聖書”をありがとうございます。感謝しています。

      聖書はすべて、神の霊感によるもので、
     教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
                            Ⅱテモテ3:16

2010年9月21日火曜日

前兆・・・


 台風一過、朝晩めっきり涼しくなって過ごしやすくなってきました。愛知県西部では、ぎんなんが実をつけ始めました。11月には見事な黄葉がみられます。この夏の異常な暑さから守られました。台風の発生場所が変わり、コースも変わり、局地的に異常な雨、暑さ。地震。飢饉。マタイの福音書に書かれていることに近づいているようで・・・。福音を語る備えをしておかなければ。クリスチャンとしての使命が果たせますように神様、助け導いてください。

         全世界に出て行き、
         すべての造られた者に、
         福音を宣べ伝えなさい。
                        マルコ16:15

2010年8月31日火曜日

主の恵み


 ここ尾張地方は暑い日が続いています。今年の夏は水をいつもより多く飲み、この暑さから守られています。以前、子供達が運動部で夏休みも練習をしていた頃、どうしても最後に味付けが濃くなるのです。気をつけていても濃くなってしまうのです。でも何も言わず食べてくれていました。我慢してくれているのだと思って、聞いてみました。すると、ちょうどいいというのです。後から知りました。塩分が必要だったことを。神様は私たちの生活の細部にまで御手を置いてくださり、配慮してくださっていることを知り、感謝しました。私たちの思い願いをはるかに超えて最善をなしてくださっています。すばらしい神様、ありがとうございます。

       わがたましいよ。主をほめたたえよ。
       私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
       わがたましいよ。主をほめたたえよ。
       主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
       あなたのいのちを穴から購い、
       あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
       あなたの一生を良いもので満たされる。
       あなたの若さは、わしのように、新しくなる。
                           詩篇103篇:1~5

2010年8月30日月曜日

リバイバルの種


 この尾張の地域にも殉教者が数多く出ました。四百数十年前の宣教の中心地の一つで、信仰が武士階級や農民の間にも浸透していきました。棄教した者も多くでましたが、、殉教者もそれ以上にでています。名前すら消され、残されていない人もいます。まだ、明らかにされていない箇所もあります。不思議です。真実を教えられていなかったのですね。その場所に十字架が立てられるといいな・・・と思っています。殉教はリバイバルの種といわれています。その方々の祈りに神様は答えてくださいます。有数の殉教国ともいわれている日本を神様は愛してくださっています。私たちは愛されています。神様は救いの御手を置いてくださっています。とてもうれしいことです。

        これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。
       約束のものを手に入れることはありませんでしたが、
       はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり
       寄留者であることを告白していたのです。
                            へブル11:13

2010年8月24日火曜日

クリスチャンとしての証


 先日、ある方の召天式(キリスト教式のお葬式)がありました。キリスト教式ですることができるのはうれしいですね。救われたクリスチャンは確実に天国に行くことができます。だから、別れは悲しく、さびしいものですが、天で再会できるという希望、確信があります。私は父母と天で再び会うことができます。実家が九州でなかなか思うように帰れず、もどかしく、とても遠くに感じたものですが、今では、逆にとても近くに感じられ、喜びがあります。主よ、父母を救ってくださり、天へ導いてくださったこと、感謝いたします。あなたの大きな愛と憐みを感謝いたします。私の最後のセレモニーは、キリスト教式で、そしてキリスト教式の墓地を、と祈り求めています。クリスチャンとしての証ができますように。

     まことに、まことに、あなたがたに告げます。
    一粒の麦がみし地に落ちて死ななければ、それは
    一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
                             ヨハネ12:24

2010年8月16日月曜日

自転車が戻ってきました


 2,3日出かけるために、駅まで自転車に乗って行きました。鍵をかけて駐輪場に置いて行きました。帰りは夜になり、家人が車で迎えに来てくれたので、次の日、日中に鍵を持ってとりに行きました。が自転車が見つかりません。名前をかいてなかったし、もしかすると・・・と言う思いがあったので、やっぱりと思いながらもこんな時は、そうです。感謝です。自転車がないことを感謝します。名前を書いてなかったことを感謝します。鍵を二重ロックにしなかったことを感謝します。家人に叱られそうで、無くした事を言えなくて感謝します。・・・感謝しつつ歩いて戻りました。もう一度日中に探しに行ってみようと思っていたら、ある日、家人が自転車を持って帰って来ました。私が置いた所にあったそうです。?!神様、ありがとうございます。感謝する恵みをいただきました。よく、失敗します、ドジをします、でも感謝をしていくと、神様がすべてをカバーしてくださいます。神様の深い愛、感謝の恵みをいただいています。

      神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々の
     ためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
     私たちは知っています。
                                 ローマ8:28

2010年8月7日土曜日

心の叫び


 心の叫びに気づいていますか。問題が起こった時、心が満たされない時、何か探し物をしているとき、普通に幸せを感じている時でさえ、本当の自分探しをしていました。無理にこうだと思い込ませたり、このままではいけないとわかっていても何もできず、あきらめさせたり・・・。ありのままをありのままで受け入れると言うのは、なかなか難しいものですね。
 私たちの創り主は、すべてご存知で、私たちを愛し、受け入れてくださっています。それを知った時から、少しづつ現実を受け入れることができ、愛されていることに気づき始めました。感謝をしていくと、過去のこれさえなければということでさえ、益にかえられるとみ言葉で約束してくださっています。もっと神さまを信じて一緒に感謝をしていきませんか。祝福を祈り求めていきませんか。私たちの祈り叫びに必ず答えてくださいます。神さまは助けることができます。救うことができます。四方八方ふさがりだと思っても、あきらめないで!必ず、神さまは最善の人生を導いてくださいます。

      神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、
     ヤコブとの契約を思い起こされた。
      神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを
     留められた。
                        出エジプト2:24,25

2010年7月23日金曜日

イエス様のセールスマン


 先週、セールスマンが来ました。あれこれと話しかけてきます。必要ありませんと言ってすぐに断りました。でもなかなかやめようとしないので、「私はクリスチャンですが」と言って、少し証をして、教会に誘いました。すると、その人は若い時聖書を読んだことがあり、今話題の「ザ・ウォーカー」を見て、とてもよかったといって「クリスチャンにはかなわない」と言って帰っていきました。福音や聖書に触れ、教会に行ったことのある人が結構いらっしゃるんですよね。早く救われ、祝福された人生を歩むことができますように!

       私は、福音を恥とは思いません。
      福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、
      信じるすべての人にとって、救いを得させる
      神の力です。
                        ローマ1:16

2010年7月12日月曜日

信仰をもっと使って


 聖書には、神さまの愛と祝福のみ言葉がたくさん満ちています。そのみ言葉を生活の中で、味わっていますか。クリスチャンになる前、経済的にとても苦しい時がありました。その時私の一番大切なものを手放しました。でもそれも一時しのぎにしかなりませんでした。神様を知り、祈りを知ってから、生活の必要を祈り求めました。「かめの粉は尽きず」と言うみ言葉が心に響いてきて、それからお米が不足して困ることはありませんでした。我が家の経済も、必要な時に必要な分を与えてくださいと祈っています。神様は必ず与えてくださっています。これからも、またそう信じることができます。神さまのみ言葉の真実を感謝します。

       信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。
      神に近づくものは、神がおられることと、神を求める
      ものには報いてくださる方であることを、信じなければ
      ならないのです。
                             へブル11:6

2010年7月5日月曜日

成長させてくださる神


 今年初めての挑戦でした。ダメもとで(不信仰をお許しください)ちょっと無理かもと言われていたきゅうり、なす、じゃが芋が見事にでき、感激しています。雑草を抜き、水遣り、肥料・・・その時期に必要な手をいれないと、普通に育っていかないのですね。
 神さまは私たちの成長のために、日々の糧を与えてくださっています。問題、困難等を通して、神様は愛をたっぷり注いで下さり、信仰を成長させてくださって、実を結ぶ者として下さいます。
 イエスさま、あなたの十字架を感謝します。

       私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、
      成長させたのは神です。
                         Ⅰコリント3:6

2010年6月26日土曜日

私たちは、枝です。


2年前に植えた桔梗の花がもうすぐ咲きそうで、楽しみにしていました。が、周りの草取りに夢中になって、ふと気がつくと茎が折れてました。あわててコップに差して花が咲くのを待ちましたが・・・・しばらくすると枯れてしまいました。残念です。去年、台風で根っこから倒れた皇帝ダリアを起こして棒で支えたら、見事に花が咲きました。根がついていたからでしょうね。私も教会から離れては何もできません。神さま、いつも守ってくださってありがとうございます。

    わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。
   人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、
   そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは
   何もすることができないからです。
                              ヨハネ15:5

2010年6月12日土曜日

出会いの時


 すべてに時があるのですね。神さまは私たちの人生の中に出会うチャンスを置いて下さっています。救われてすぐ、なぜもっと早く神さまは救ってくださらなかったのですか、と訴えたことがありました。そうしたら、こんなに苦しまなくてもよかったのに・・・と。でも、よくよく振り返ってみると、何度か出会うチャンスがありました。私の心が閉じていたのですね。残念です。最近よく写真を撮るようになってから、自然の中に神さまの御手があることを強く思わされます。自然の中で教えられています。種をまく時、植える時、実のなる時、収穫の時。同じように、私の人生にも時があるのですね。神さまの手の中にあって最善の人生を選ぶ時を与えてくださって感謝いたします。

   実が熟すと、人はすぐにかまを入れます。収穫の
  時が来たからです。
                          マルコ4:29

2010年6月3日木曜日

恵みの中でいやされて・・・


 祖父母がとても厳しかったので、家の中でみんなが緊張してました。しつけという名の虐待だったのかもしれません。やさしいところもあったのですが。今でも人の言葉に過剰反応してしまいます。人に迷惑をかけるな、世話になるな・・・できない、弱い、間違い、失敗はだめという環境の中で、幼い頃は体が弱かったので最悪でした。恵みをうけるなんてとんでもないこと。弱い、できない自分を認めなければならないから。でも、救われてほっとしました。弱くていい、できなくていい。ありのままをうけいれてくださる。失敗したら、やり直せばいい。人の言葉に傷ついて苦しんできたけれど、今は教会にドップリ浸かって神様の愛と恵みをうけ、癒され解放されていっています。しかも、素直に恵みを受け取れるようになってきました。神さまは一方的に恵みを注ぎ、満たしてくださいます。神さま、感謝します。

       わたしの目には、あなたは高価で尊い。
       わたしはあなたを愛している。
                    イザヤ43:4

2010年5月25日火曜日

試練は、神の恵みをうける種


 ある日突然、試練、困難、問題がわいてきます。先日もそうでした。ピンチ!考えれば考えるほど、重く、暗くなっていきそうです。でもここで“感謝しなさい”“すべてが益”という聖書の言葉を信じて感謝をし、そして祈りました。心配がとれるまで、平安がくるまで、神様のことばをいただくまで。すると、次の日、大きな山が三つ、いとも簡単に崩れていき、見事に解決しました。私は何もしていないのです。今までは心のどこかに、あれをしなければ助けてもらえない、これをしたから・・・などという思いがありましたが、このことで神様の恵みの深さを知ったのです。そして解放されました。いままで、いかにがんじがらめに縛られ、窮屈になっていたことか。問題解決を通して、神様の愛、恵みが心の奥にまでしみこんでいきました。神様の愛にふれると心が暖かく、やさしく、柔らかくなっていきます。神様感謝します。いつでも、どんな時でも、あなたの恵みで満たし、満ち溢れさせてください。

     主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。
     幸いなことよ。彼に身を避ける者は。
                     詩篇34編8節

2010年5月16日日曜日

神様の最善が・・・


 季節が逆戻りしたような中でも、確実に夏は近づいています。周辺ではもう田植えが終わりました。半そでが寒く感じた日、ふと思い出しました。親の知らない所で子どももいろいろな問題にぶつかっていたのですね。中学1年生のある日、熱があるからと言って、早く帰って来る日が続きました。朝は元気なので、調子が悪かったら、帰りに病院に寄ってくるようにいうと、薬をもらって帰ってきました。でも、薬をみると、精神安定剤でした。子どもは追い詰められていたのです。あわてて祈り始めました。登校拒否してもいいんですが、そうすると自分が苦しむだろうなと思われて、祈りつつ思い切って担任に相談しました。そうすると、子どもの前で明快で頼もしい答えが帰ってきて、少しは安心したようでした。親としてもあれこれと詮索せず、見守ることにしました。夏休みに教会のキャンプに行きたいと言い出したので2年連続で連れて行っていただきました。キャンプの中で、神様と出会い、いやされたようで、次第に元気になっていきました。学校を休む日もほとんどなくなりました。一時期は顔を見ると喧嘩・・・のときもありましたが。今では、気遣ってくれます。親として本当になすすべがないということは、悲しいやら情けないやら。良かれと思っても逆効果の時も。でも神様がいてくださるから乗り越えることができました。感謝の気持ちでいっぱいです。

      聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、
     失望させられることがない。」
                         ローマ10:11

2010年5月7日金曜日

神様、いったいどうすればいいのでしょうか?


 親といっても無力です。子供がいじめられていても、悩んでいても、何をどう解決すればいいのかいつも迷ってばかりでした。心配性が子供に伝わって、一時期不安定になったこともありました。クリスチャンになってからは、神様に助けを求めて、祈り続けました。特に節目の年、問題を起こしそうな時、神様に助けてーと叫んでいました。すると、不思議に助けがはいるのです。息子が、高校1年生夏過ぎから、全然、まったくやる気がなくなって行ったのです。理由はいろいろあったのですが、どうすることもできず、なんとか3年生に。ただ、このまま放っておいてはいけない、子供たちには最善の人生を歩いてほしい。必死で祈り続けました。すると、この子と一緒に勉強しようという思いが強く沸いてきました。とにかく夕食後1時間いっしょに机に向かいました。私は高校一年生の教科書をわけわからずとにかく読みました。息子は最初のころは1時間ボーッと横になっていましたが、1ヶ月たった頃は、なんとか机に向かうようになってきました。神様が心に働きかけてくださったのです。周囲の励ましもあって、6ヵ月後には自分から勉強するようになっていきました。そして、思う以上の成果がでました。この事がきっかけで父親との関係が回復してきました。私には子供たち一人一人に何が最善か、どの道を選べば良いのかわかりません。でも神様はすべてご存知ですし、祈る時最善へと導いてくださいます。思う以上のことをして下さいます。神様、あなたの愛と憐れみを感謝します。

           あなたの子どもたちはみな、主の教えを受け、
           あなたの子どもたちには、豊かな平安がある。
                            イザヤ54:13

2010年4月28日水曜日

心をこめて


 賛美大会が美和文化会館で行われました。この花正(今はあま市)で中部の賛美大会が行われるようになるとは思ってもみませんでした。しかもチームとして参加する恵みに与れたのはとても感謝でした。どのチームも去年よりとても上手になっていました。ゴスペル教室のチームも多数参加しました。大きな会場のステージで賛美するのはなかなか・・・ですね。もっと、祈りと、練習と、路上で度胸をーーー。いつでも、どこでも、どんな時でも最高の礼拝が捧げられる様になりたいです。

   詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、
  主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。
                      エペソ5:19

2010年4月23日金曜日

天地創造の神


  あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
 わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びも
 ない。」と言う年月が近づく前に。
               伝道者の書12:1

 スペースシャトルが無事帰還しました。ママ飛行士の山崎さん「美しい地球の自然をまた感じることができてとてもうれしい」といわれてました。漫画の世界が現実になってきているような。そのうち、宇宙移民計画などと・・・・?
 神様がこのすばらしい宇宙を創ってくださって、私たちに命を与え、この時代、この場所においてくださり、さらにすばらしい場所を備え、私たち一人一人に最善の道を導いてくださいます。神様、感謝します。あなたの祝福の道を歩くことができますように。

2010年4月17日土曜日

信仰者の足跡をたどって


  あなたがたのからだを、神に受け入れられる、
 聖い、生きた供え物としてささげなさい。
 それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
             ローマ人への手紙12:1

 この美和町はルイス・フロイスの『日本史』の中にキリシタン村として登場します。その中心が尾張・花正でした。四百数十年前、ここが宣教の地であり、教会のあった所です。殉教、迫害を通ってきた信仰者たち。もし、この時代にいたら、私は信仰を守り通せるでしょうか・・(自問自答してみる)。その信仰者たちの祈りと流された血に神様がふたたび答えてくださる。賛美を通して、心からの礼拝を捧げることができるように今から祈ってます。

2010年4月14日水曜日

新たな出発・・・


けれども、あなたは聖であられ、
イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
                    詩篇22:3

 ゴスペルコンテストが、今年も美和文化会館(美和文化の杜 旧海部郡美和町)で2時から行われます。3月22日に3町合併して“あま市”としてスタートしたばかりの町に、中部の各地からいろんなチームが集まってきます。オリジナルで、神様の愛がぎっしり詰まったすてきな曲ばかりです。歌を通して神様の御言葉にふれ、元気になります。歌の好きな方、ゴスペルに興味のある方、ゴスペルってなに・・と思っている方、近くにお住まいの方、一度ぜひおいでください。そして、ぜひ応援してください。お待ちしています。

2010年4月13日火曜日

神の言葉を信じたら・・・


 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられたものとなるためです。
         Ⅱテモテ3:16,17

 教会に行くようになってから聖書を読み出しました。神様ってどんなお方。十字架って何。人間とは一体何者なのか。罪人って言うけれど・・・いろんな疑問を人には聞けなかったので、聖書にぶつけながら読んでいきました。そうすると、いろいろな形で答えが返ってくるのです。今までの謎がひとつひとつ解けてくるのです。そうして、何度か通読するうちに、目からうろこ(のようなもの)が一枚づつはがれてくるように思えてきました。神という絶対の世界の確かさ。ものを見る目、ものの受け止めかたが今までとは違ってきたことに気づかされました。最初は神様って、とても非常識だと思いました。7の70倍赦しなさい・・・できません。でも、十字架を知ると不思議とできるようになってくるのです。悪いことが起こるとどんどん悪くなっていって、身動きできなくなるのに、感謝したら、すべてが益、最善、祝福となる・・・信じて感謝したらそのとおりになるのです。不思議です。無から有を生み出す力ある神様はどんなことでもできるのです。ハレルヤ!

2010年4月10日土曜日

アーモンドの花をみつけました・・感激!


次のような主のことばが私にあった。「エレミヤ。
あなたは何を見ているのか。」そこで私は言った。
「アーモンドの枝を見ています。」
すると主は私に仰せられた。「よく見たものだ。
わたしのことばを実現しようと、
わたしはみはっているからだ。」
                  エレミヤ1:11,12

 東山公園(名古屋市)で“アーモンドの花”を見つけました。TVのローカルニュースで言っていましたので、確かめに行ってきました。少し前から咲いていたようです。桜のような桃のような花で、種の中にアーモンドが入っているそうです。実のなる頃にもう一度行って来たいと思ってます。アーモンドは、聖書の中にも出てきます。他に先立って咲くので“見張り”の意味を持つとか・・・。一度見たいとおもっていました。日本の数箇所にも咲いているようです。こんな身近な所で見ることができました。創造主である神様、私のわがままを聞いてくださって感謝します。四季折々のすばらしい花を感謝します。

2010年4月6日火曜日

春爛漫


    ほら、冬は過ぎ去り、
    大雨も通り過ぎていった。
    地には花が咲き乱れ、
    歌の季節がやってきた。
    山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。
               雅歌2:11,12

 この聖書箇所は、J-ゴスペルの歌詞の一部としても歌われています。桜の花が満開です。近くの桜並木を散歩して春を楽しんできました。散り際も風に乗って花びらが舞うのですきです。これも神様のすてきなプレゼント。でも、一番のプレゼントは、イエス・キリストです。「天と地を創造した」神様は、ひとり子をこの世に遣わしてくださり、十字架によって私たちに救いの道を開いてくださいました。本当に感謝です。救われたと言う事がどれほどすばらしい事か。年を重ねる毎に実感しています。私たちを祝福しようとして両手を広げ待っていてくださいます。あなたもイエス様を主として心の中にお迎えしませんか。神とともに歩むすばらしいが待っています。

2010年4月1日木曜日

元気になるひけつ-2


    私のくちびるに  
    賛美がわきあふれるように
    してください。
    あなたが私に
    みおきてを教えてくださるから。
                 詩篇119:171

 思いっきり賛美します。へたでも、音痴でも(本当の音痴はいないとか?)声をお腹の底からだします。昔、兄の歌を聞いて、絶対人前では歌わないゾと心に決めてから、大きな声を出して歌うことのなかった私ですが。救われて間もない頃、問題におしつぶされそうで心身ともに重くなっていました。賛美をしたくて朝、皆がでかけたらおもむろに歌い始めます。とにかくうろ覚えのうた、気に入ったメロディの一節を頼りに30分歌ってました。毎日続けるうちに、声も出るようになり心が動き始めました。体も動くようになって来ました。賛美は神様との交わり、祈り、礼拝。神様の言葉にふれるうちに、だんだん元気になっていきました。今はJ-GOSUPELを歌っています。先日、教会の皆と某病院でコンサートで歌ってきました。聞いてくださる皆さんが元気になってほしい、祝福されますようにと願って歌うのですが、逆に私のほうが元気と喜びをいつもいただいています。

2010年3月31日水曜日

赦したら・・・


    あわれみ深い者は幸いです。
    その人はあわれみを受けるからです。
                  マタイ5:7

 ある日のこと、息子が信号待ちをしている時、後ろから車をぶつけられたと言って夜中に帰ってきました。事後処理をしていたので遅くなったそうです。話を聞くと、一方的に相手が悪いということでした。次の日の朝、首がおかしい、むち打ちかもと言い始めました。むち打ちだと治るのに時間がかかるし、完全に治るかどうか不安でしたが、これだと相手の方にとって人身事故扱いになってしまいます。とっさに“赦しなさい”と言葉が出てました。そして祈りました。息子は何も言わずに出かけて行ったようでした。2,3日して聞くと、首の痛みはすっかり取れていたそうです。車の修理のみで、結局病院に行かずにすみました。赦したことで神様は恵みを注いでくださいました。双方にとっても最善の解決が与えられました。主に感謝します。

2010年3月29日月曜日

マーリンさんのように


   いつも喜んでいなさい。
   絶えず祈りなさい。
   すべての事について、感謝しなさい。
  これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
              Ⅰテサロニケ5:16~18

 花粉症のシーズンです。以前はひどいものでした。目は痒くて真っ赤。鼻はぐすぐす。夜は鼻が詰まってしまって口をあけて寝るので乾燥してがさがさ。耳鼻科に行って、目鼻を洗っても、そんな日が続くのです。クリスチャンになって、あるとき、マーリン・キャロザース氏の本かお話のなかで、ご自身がアレルギー性鼻炎(花粉症?)から開放されたことを知りました。私も真似してみることにしました。まず、このひどい状況・症状を感謝しました。そして祈りました。一度、症状が取れましたが、またひどくなりました。でも、再び感謝をし、祈りました。それからは、一度も耳鼻科に行ったことはありません。感謝したら、癒されました。神様はマーリン氏を通して感謝の恵みを注いで下さっています。今私たちは感謝することを学んでいます。

2010年3月20日土曜日

一番難しいことを・・・


 スパイダーマン3が金曜日にTVで放映されていました。やらなければならないことがいっぱいあるのに、ついつい見てしまいました。そのなかで、人を傷つけ悩み苦しんでいる主人公に向かって、叔母さんが「今、一番あなたに難しいことをしなさい。自分を赦しなさい。」と言うのです。自分を赦すというのはなかなかできませんでした。失敗したり、弱い自分を受け入れることも難しいと思います。でも、イエス様は私のありのままを、弱くて、哀れで、惨めなこの私を愛して、罪の身代わりとなって十字架にかかってくださったのです。この十字架を本気で信じるとき、赦すことができるようになりました。失敗したら、何度でもごめんなさいと悔い改めていくのです。赦されることを知ると、赦す事ができるようになり隣人との距離が埋まっていきました。私たちは愛されているのです。赦されているのです。十字架の愛を深く知るとき、心が満たされ、平安がきます。

       「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、
       何をしているのか自分でわからないのです。」
                            ルカ23:34

2010年3月14日日曜日

感謝の力!


 クリスチャンになったSさん。感謝をしたら、ご主人の暴力が止んだそうです。最初は、ご主人の理不尽に怒って向かっていって、力でねじ伏せられたそうです。二度目は、殴られたところが痛くて外科に運ばせてレントゲンをとったら、骨は折れてなかったそうです。三度目は、殴られている間、ずっと心の中で感謝をし、後でも一人で涙をぼろぼろ流しながら感謝をしたそうです。怒り、憎しみ、悲しみ、やりきれなさ・・いろんな感情と戦いながら。家出をしようとすると不思議にストップが入ってできなかったそうです。しばらくは、暴力が怖くてご主人が怖かったそうです。心と体がとても深く傷ついてしまったそうです。でも、神様に守られました。それ以来、ご主人が暴力を振るうことはなくなったそうです。感謝をしていく中で、また、礼拝の中で主に触れられ、ご自分が神様に深く愛されていることを知り、凍りついた心が少しづつ癒され、豊かな感情(?)も回復しているそうです。赦すことができるようになり、ご主人と一緒に出かけたり、食事にいったり。ご主人も神様に愛されていることを受け入れられるようになったそうです。わかっても、わからなくても、神様のことばに従うと神様が責任を持って私たちの人生、家族を祝福し最善へと導いてくださいます。このご夫婦は、もう大丈夫ですね。きっと神様のすばらしいご計画が待っていますよね。神様、あなたのみ言葉は真実です。感謝します。ハレルヤ!

     何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、
    感謝をもってささげる祈りと願いによって、
    あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
     そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
    あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって
    守ってくれます。
                       ピリピ4:6,7

2010年3月11日木曜日

笑顔


 星野富弘さんの詩画集の著者紹介の欄に載っていた写真がとっても素敵な笑顔でした。この方の笑顔にひかれて聖書を買いに本屋さんに行きました。それまでは、日本人は仏教だと思い込んでいました。しかも我が家は典型的な日本型。私は仏教の世界で育ちました。父は子供の目にはとても誠実に、良心的に生きているように見えて、大好きでした。そんな父が病気で入退院を繰り返すうちに、苦しみ、死にたいともらしたのです。私も、最大の人生の危機を迎え、問題に押しつぶされそうでで思わず“神様、助けて”と呻いた時教会に導かれていった中で、この本と出合いました。ようやく仏教から目が離れたのです。クリスチャンの笑顔って素敵ですね。神様、素敵な笑顔をありがとうございます。私もいつも笑顔でいれますように。あなたの愛を香らせることができますように。
    
   いつも喜んでいなさい。
   絶えず祈りなさい。
   すべてのことについて感謝しなさい。これが、
  キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んで
  おられることです。
                      Ⅰテサロニケ5:16~18
   

2010年3月5日金曜日

徹底的に・・・


神様は、私達に必要なことを前もって教えてくださるのですね。もう十年ぐらい前ご婦人のクリスチャンが骨折で入院されたと聞いて、礼拝の帰りにお見舞いに行きました。あまり親しかった訳ではなかったのですが、とても喜んでくださって、神様から頂いた恵みのお証をしてくださいました。医者から見離された病を抱えて、ご主人の止めるのも聞かず礼拝に行き、その夜、体の中にたまっていた水が全部でて、いやされたそうです。また、仕事を抱えながら、離れているお姑さんに週に2,3回おかずを持って電車で通い、仕えることができたこと等喜んでお話してくださいました。そして、いやされた証を、本当は今日教会の中で話したかったのだけれど入院中なのであきらめていたところに、神様が聞き手を送られてきたといって喜んで下さいました。そして、両手を広げ、言われました。“徹底的に従うのです。徹底的に!”と。この言葉を聴いて、あることの決心ができ、また義父母の看病のとき、同じように一品を持って仕事の合間をみて毎日通うことができたのも、このことがあったからだったのではと思い返しています。今更ながら、気づくのが遅くてゴメンナサイ。そして、感謝します。
     あなたの救いの喜びを、私に返し、
     喜んで仕える霊が、私をささえますように。
                        詩篇51:12

2010年3月2日火曜日

もっと、でてくるかも


「命のビザ」を受けたユダヤ難民の方々の写真が、元JTB職員のアルバムと手記の中から新たに発見されたそうです。オリンピックに沸いていたとき、中日新聞のトップ記事に載っていましたので紹介します。第二次世界大戦中、リトアニア日本領事代理を務めた元外交官、杉原千畝氏が約6000人に発給したビザをもってシベリア鉄道、敦賀港への連絡船を乗り継ぎ日本を経てアメリカなどへ渡った。そのときの連絡船に職員として乗船していた方だそうです。個人的にも興味があって、以前のブログに少し書かせてもらっています。イスラエルと日本とのかかわりの一面がまた発見されたことに不思議を感じています。
                          「中日新聞2月21日付朝刊」より

      私たちは、神の中に生き、動き、
     また存在しているのです。
                  使徒の働き17:28

2010年2月24日水曜日

感謝したら見えてきたもの・・・


 20年前、どうにもならない問題にぶつかり苦しかった時“神様、助けて”と叫んでいました。教会に導かれ、救い主イエス・キリストを知り、信じ救われました。救われた喜びはあるのですが、目の前の問題は一向に解決せず、むしろひどくなる一方でした。そのなかで、感謝することを学びました。すべてが益になることを信じて、感謝しなさい。この問題の裏に神様のすばらしいご計画があるから・・・という聖書の言葉に励まされながら来ました。最近気づかされました。死ぬほど苦しんだこの問題・・・これは、若い時に受けた傷に何も知らない家族が触れたのが原因だったのです。同じ問題を持つ人はいると思うのですが、どうして私はこんなに苦しいのだろうと思う時もありました。自分が思う以上に深く深く傷ついていたことに改めて気づかされました。理由がわかったら、すごく楽になりました。今まで赦せなかったことや執拗にこだわっていたことも感謝をして、捨てることができ始めたのです。ようやくスタートラインに立てたような気がします。

      あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。
      あなたは私の神、私はあなたをあがめます。
                            詩篇118:28

2010年2月21日日曜日

この地にリバイバルを!


 日本最初の殉教者の内、ルドビゴ茨木12歳の少年、パウロ茨木、レオン烏丸のふるさとがこの美和町ー3月から“あま市”ーといわれています。ここから日本最初の殉教者が3人も出ているのです。神様は特別にこの地を愛しておられるのですね。413年前に蒔かれた種がもうすぐ実を豊かに実らせてゆくのが見れるのです。この時代に生かされていることを感謝します。

   一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、
   それは一つのままです。しかし、
   もし死ねば、豊かな実を結びます。  
                     ヨハネ12:24

2010年2月18日木曜日

美和町だよりが・・・


 突然ですが、ブログ名がかわりました。3月に美和町が3町合併し“あま市”となります。ここに越してきて約20年、いろいろなことがありましたが、今思えば、この地でクリスチャンと出会い、悩みの中でイエスさまと出会えたことは最高でした。神様って不思議ですね。いつも逆説的、悲しみが喜びに、マイナスがすべて益とかえられるのですから。
 装いも新たに、これからも続けますのでよろしくお願いいたします。

    苦しみに会ったことは、
    私にとってしあわせでした。
    私はそれであなたのおきてを学びました。
                       詩篇119:71

2010年2月10日水曜日

日本最初の殉教者ー1


 山本村(佐賀県唐津市山本)に行ってきました。ここは、日本で最初に殉教した26聖人の内の一人、最年少12歳のルドビゴ茨木が神様を選んだ場所です。処刑執行人寺沢半三郎がこの少年を助けたくて、「私の養子になれ」キリシタンを捨てることが条件で、「信仰を捨てて養子になれば、後50年は生きられるぞ。おいしいものも食べられる。きれいな服も着られる。そのうえ、刀をさして武士になり、大名にもなれるぞ」という誘いをすべて断って、ルドビゴ茨木は「そうしてまで私は生き延びたいとは思いませぬ。なぜなら、終わりの無き永遠のいのちを、たちまち滅びるつかの間の肉体の命とは代えられないからです。お奉行さま。あなたの方こそキリシタンにおなりになり、これから私が参りますパライソ(天国)においでなさるのが、ずっと良いことです。あなたもキリストを信じて、私と一緒に天国に参りましょう。」といって逆に伝道するのです。心から神を愛し、信じ、従い、天の故郷に帰ることを確信して殉教の道を選び、西坂まで歩いたのです。
                             『殉教』 イザヤ木原真著  
     
     これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを
    手にいれることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、
    地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
                                  へブル11:13

2010年1月31日日曜日

ごめんなさいが言えました

 夏休み中、お姉ちゃんと毎日遊びに来ている5才の男の子がいました。一緒にあそぶのですが、怒鳴るように話し、ちょっとでも聞いてもらえないとけってくるのです。毎日繰り返しイエス様の紙芝居を読み、子ども賛美をテープで流したりしながら遊んでいました。一ヶ月くらいすると、普通に話ができるようになり、けることも少なくなってきて、なによりも“お姉ちゃん達をけってはだめ。ごめんなさいって言えるかな?”というと、素直に“ごめんなさい”といえるようになったのです。驚きました。賛美にふれ、福音にふれて行くうちにやわらかい、すなおな心を取り戻すことができたようです。ちょっぴり、ホッとしました。

       あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
       わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜び
       もない。」と言う年月が近づく前に。
                        伝道者の書12:1
        
       

2010年1月29日金曜日

愛されて


3,4才の子どもでもわかるのです。神様のこと、罪のこと、悔い改めること、十字架のことが理解できるのです。そして、変われるのです。3才の女の子が花瓶を割りました。そしていった言葉は“ここにおいておくほうが悪い”でした。でもイエス様のことを知り、信じ受け入れました。すると“ごめんなさい。わたしが悪いのです。”と言えるようになったのです。失敗しても、間違っても大丈夫。“ごめんなさい”と言ってやりなおせばいいのです。赦されることを知れば、うそをつくことも、隠すこともしなくてすみます。赦すこともできるでしょう。幼い時から神様の愛にふれておくことはとても大切ですね。
       そしてイエスは子どもたちを抱き、
       彼らの上に手を置いて祝福された。
                    マルコ10:16

2010年1月24日日曜日

元気になるひけつー1

 美和礼拝後、神学校があり説教の訓練がありました。なかなか原稿通り思うようにできなくて、しかも冬のこの時期いつも落ち込むのです。今回もだんだんと、元気が無くなり、しまった言いそびれた、わすれた・・しまった失敗だ、落ち込みそうなんだけど。でも、げんきなのです。メセージの中で、福音を語ったり、救われた時のことを話しているうちにだんだん元気になるのです。そういえば、最近伝道してない・・・ことに気づかされました。救われた頃はうれしくてうれしくて、語らずにはいられない、誘わずにはいられなかったのに。福音を必要としている方に、神様の愛を必要としている方に届けることができますように。
     良い知らせを伝える者の足は
     山々の上にあって、なんと美しいことよ。
     平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、
     救いを告げ知らせ、
     「あなたの神が王となる。」と
     シオンに言う者の足は。
                      イザヤ52:7

2010年1月20日水曜日

子は・・・かすがい


 時々、CSの子どもたちと童心に帰って思いっきり遊びます。若い時から子どもと接するのが、苦手と言うよりも怖かったのがうそのようです。子育て中も日ごとに子どもの可能性をつぶしているようで、なにをどうしたらいいのか、不安な気持ちで過ごしていました。神様を知ってからは祈ること、神様を信頼することを学んでいくうちに、子どもと一緒にいることを楽しめるようになりました。近所の子どもたちといろいろなパーティをして遊びました。もちろん伝道目的でしたが。お母さんたちを誘っても、お話をしてもなかなか聞いてもらえず、直接子どもたちに話したほうが早道だと思い、始めました。素直な子どももいましたが、ちょっぴりすねている子どももいました。その子が、福音に接していくうちに素直に“ごめんなさい”と言えるようになったのです。この子にとっても、ご両親にもとっても素敵なことだと思いませんか。家庭の中が変わり始めると信じています。
   子どもたちを、わたしのところに来させなさい。
   止めてはいけません。神の国は、このような者
   たちのものです。
                    マルコ10:14

2010年1月17日日曜日

歯が・・・


 先週から、夜中に突然ギリギリと歯が痛み出しあまり眠れない日が続きました。夜になると、またあの痛みが・・・と思うと、ちょっと恐怖がありました。昨夜も痛みだしそうな気配がしてきたので、祈りました。祈りながら・・気づくと朝でした。ぐっすり寝てしまって、おいねりになってしまいました・・でも痛みがとれていました。ホッとしました。あの痛みから解放されました。今日からは、毎晩祈ってからねることにしました。歯医者に行くのが一番早い・・・とお思いでしょうが、なにせ、麻酔に弱いので、なかなか行けないのです。(写真の猫・公園で出会った人なつっこい猫でした)
    主よ。私の祈りを耳にいれ、
    私の願いの声を心に留めてください。
    私は苦難の日にあなたを呼び求めます。
    あなたが答えてくださるからです。
                  詩篇86:6,7

2010年1月8日金曜日

光の子ども


 新学期が始まります。あわただしかった日々が過ぎ、普段のペースを取り戻しつつあります。通学の時間帯にぎやかな子供たちの姿が戻ってきました。途中で引越ししてきたこの美和町の保育園で、気になる女の子に出会いました。なぜか惹かれるのです。その子のお母さんに話しかけるようになり、クリスマスに誘われて初めて教会に行きました。その人はクリスチャン2世で、毎週日曜日は家族、親族で教会にいってました。神様の愛の中で育ってきたのですね。どこか違うのです。それから数年後、私は教会に導かれ、神を知り、イエスキリストを信じ、聖書を読むようになりました。子供でも、無言でもキリストのかおりを放つことができるのですね。神様、素敵な出会いをありがとうございます。
   あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、
  主にあって、光となりました。光の子どもらしく
  歩みなさい。
                   エペソ5:8