2009年11月30日月曜日

高山右近


 あの時代、多くの人が、支配者階級の武士たちも神を信じた。度重なる禁教令の中、信仰を守り通した高山右近。1614年に国外追放となり、マニラへ。ところが、キリシタンの英雄として最高のVIP待遇で迎えられたそうだ。「神父やキリシタンに囲まれて死ぬのは幸せだ」と言い残して、天国へ。
            『戦国武将ものしり事典』より

  信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。
                         へブル11:6

路上ライブを

 美和町ゴスペルチームとして、初めて路上ライブをしました。駅前を下見に行った時は、ほとんど人がいなくて、ひそかにホッとしたのですが、いざいってみると、かなりの人が行き交ってました。知った人に会うと照れるな・・と思ってましたが、賛美し始めたら、神様、この地を祝福してください。痛み、悩み、苦しんでいる人たちにあなたの愛を・・・と叫んでいました。もっともっとうまくなって神様の愛があふれる賛美ができますようにと祈りつつ、もっともっと、これからでていきます。

ワクワクしてます


 なかなか読みこなせない『武功夜話』を眺めつつ、あれこれとおもいをめぐらしている。農夫コンスタンチノは、どうして奈良の沢城にいたのだろうか?完全に記録を抹消されているので、単なる私の推測にすぎないのだが、本当は福島正則や蜂須賀小六のように武士階級の人物ではなかったのか。ルドビゴ茨木は、この花正の地で皆と同じように子供時代を駆け回ったであろうに・・など。秋の夜長もまた楽し!

   彼は望みえない時に望みを抱いて信じました。
  それは、「あなたの子孫はこのようになる。」
  と言われていたとおりに、彼があらゆる国の
  人々の父となるためでした。
                     ローマ4:18

倒れても・・・


台風18号の影響で根っこから倒れた皇帝ダリアを起こして棒で支えていたら、根付いて多くの花が咲きました。生命力が強い花です。幹が途中で折れても、そこから花芽がでてきますし、折れた枝も、根が出て成長しきれいな花を咲かせます。

  わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
          ヨハネ15:5

2009年11月16日月曜日

孤児院報告会に行って


 10日、11日カンボジア孤児院の報告会がありました。現地スタッフのルツ前田宣教師さんが、元気に遊ぶ子供たちの動画と、その子供たちが書いた絵を持ってきてみせてくださいました。とても明るい色使いをした絵ばかりで傷ついた子供たちが癒され元気に成長し素敵な笑顔で過ごしている姿を見せていただきました。福音の力、神様の愛ってすごいですね。

    私は福音を恥とは思いません。福音は、
   ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、
   信じるすべての人にとって、救いを得さ
   せる神の力です。
                    ローマ1:16

2009年11月2日月曜日

10月31日  パート2


 太陽の周りに、きれいに完全な丸い形の虹をみました。むかしむかし、私は、何も知らないで過ぎるよりはできるだけ何でも知った上で、判断していけばいいと思ってました。でも、クリスチャンになってから、知るべきことを知らず、知らないでいいことを追求して、影響されて違う方向を歩いたり、傷ついてきたことに気づかされて悔い改め、これは、私の祈りになりました。そして、その日・10月31日の午後、初めて太陽の周りに完全な虹をみたのです。本が好きで、それまでいろいろな本を読み漁ってましたが、全然興味をもてなくなっていました。とにかく聖書が読みたくて、神様のことが知りたくて、知りたくて、聖書に没頭していきました。

   なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、
  すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らない
  ことに決心したからです。
                      Ⅱコリント2:2

2009年11月1日日曜日

10月31日


 実家から父の法事をするから帰ってくるようにと連絡がきました。久しぶりに兄姉の顔を見たいと思いましたが帰るのをやめました。日曜日は礼拝の日。皆が救われるように祈ってきました。父も母も天国です。天で全員そろうことを信じ、神様に期待します。父は浄土真宗大谷派の第15代住職でした。大好きな父でした。その父が病気になって、体が思うように動かなくなった時、死にたいと言ったのです。私にはショックでした。あれほど一生懸命に寺のため、人のため、家族のために働いて、人は救えても自分は救われないのか、今まで父のやってきたことは何だったのだろうかと思うようになりました。それとともに私も苦しさの中でもがいている時クリスチャンと出会い、教会に導かれました。聖書の神様、イエス・キリストと出会い私は救われました。心が虚しさを感じた時、経本を読んだり、仏教説話集を読んで心を満たそうとしていましたが、満たされることはありませんでした。今は、祈ったり、聖書を読んだり、賛美をしたり、教会に行ったりすることで喜びがきます。心が満たされます。嫌な問題から逃げずにすみます。父が苦しまなかったら、私は仏教から目が、心が離れなかったでしょう。神様は哀れみ深いお方です。17年前の10月31日、父を天国に導いてくださいました。

     主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、
     主よ、だれが御前に立ちえましょう。
     しかし、あなたが赦してくださるからこそ 
     あなたは人に恐れられます。
                      詩篇130:3,4