2009年10月28日水曜日

実りの秋


 春に植えたサツマイモの苗が4本残り立派な芋が育ちました。30本植えた苗のほとんどが枯れてしまって、今年はあまり収穫を期待していませんでしたが、掘ってみると、なんと、1本のツルが隣の畝まで伸びて根を張り、そこにも芋が育ってました。1本の苗から2本、3本分の芋を収穫することができました。感謝です。こんなこと初めてです。神様は愉快な、ユーモアのある方なのですね。


     わたしはぶどうの木で、あなたがたは
    枝です。人がわたしにとどまり、わたしも
    その人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。
    わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
                                    ヨハネ15:5

2009年10月22日木曜日

J-ゴスペルもよろしく


 動画バーを取り入れてみました。ゴスペルの世界を堪能して下さい。私たちは日本発のゴスペルを世界に届けようとしています。いろいろなグループが活躍しています。新しい曲も驚くほどたくさん生まれてます。いづれ、この動画バーに登場する日が来ることを祈りつつ、待ち望みます


          新しい歌を主に歌え。
          全地よ。主に歌え。
          主に歌え。
          御名をほめたたえよ。
          日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。
                           詩篇96:1,2

2009年10月12日月曜日

台風一過


 伊勢湾台風から50年、同じようなコースで非常に強い台風18号が通り過ぎました。最悪を想定してましたが、ここは台風の西側よりだったので雨、風から守られました。本当に感謝でした。どんなに準備をしても、私達は無力です、あとは神様に祈りました。そして、早めに寝ました。以前だったら、心配で夜一睡もできなかったでしょうが。今は神様に祈り、神様に信頼することができますから大丈夫です。皇帝ダリヤが1本倒れてました。

2009年10月7日水曜日

主の恵みはとこしえまで


 白洲次郎というTV番組を見ました。このような人がいたのですね。知りませんでした。ドラマを見ていると、なぜか、シンドラーをふと思い出しました。俳優さんのイメージが似ていたからでしょうか?そのなかで、「Jesus lovos me」(主われを愛す)の賛美歌がバックミュージックとして流れてました。祖父とお母さんがクリスチャンだったそうです。祈られて育ったのですね。「貴方は病弱でいつ死んでもおかしくない時がよくあったのです。その時私はどれほど神様に祈ったことでしょう。貴方が奇跡的に生きながらえたのは、神様があなたにしかできない使命をお与えになったのです。」というお母さんの言葉のとおり、日本の敗戦時にGHQと真正面から戦って、アメリカの隷属国にならずにすみました。日本は神様に愛されているのですね。

      わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、
      あなたの知らない、理解を超えた大いなる事を
      あなたに告げよう。
                        エレミヤ33:3

2009年9月28日月曜日

祝福!


いなべ礼拝に行ってきました。残念ながら、行く途中の光臨は見ることができませんでした。が、礼拝中、彩雲がでました。感謝でした。久しぶりです。天のしるしを見せていただくと、神様が共にいてくださる、私の祈りに答えてくださることを実感でき、とてもうれしくなり、“虹が”“彩雲が”・・・と大騒ぎしてしまいます。

    天は神の栄光を語り告げ、
    大空は御手のわざを告げ知らせる。
    昼は昼へ、話を伝え、
    夜は夜へ、知識を示す。
    話もなく、ことばもなく、
    その声も聞かれない。
                詩篇19:1~3

2009年9月20日日曜日

コンサート会場


 セプテンバーコンサートが12日(土)に名古屋市中村区の地球広場のカフェ・クロスロードでありました。四日市シオン教会のチームと名古屋教会のチームが参加しました。会場の場所をインターネットで調べていて、驚きです。あのホテルグリーンプラザ・白馬が、毎年、夏冬のキャンプを行っている素敵なホテルが、このコンサート会場になってました。日本中いや世界中にJ-ゴスペルを届けることができますように。

       全地よ。主に喜び叫べ。
       大声で叫び、喜び歌い、ほめ歌を歌え。
                             詩篇98:4

2009年9月4日金曜日

まだいるのです。


 1938年3月、ナチスの手から逃れ、シベリア鉄道・オルポール駅で足止めされている五千人から二万人のユダヤ人を助けた人達もいたそうだ。当時の樋口陸軍中将は、人種差別を嫌い、食べ物、着る物、そして出国の手助けをしたという。また、安江陸軍大佐は、ユダヤ研究を命じられてパレスチナ、エジプトへ出かけ、現状を実際に見て、文章の真偽を判断したという。この二人は戦後、イスラエル建国功労者として名前が「黄金の碑」に刻印されているという。日本とイスラエルの架け橋となった人々の足跡を、私も行って、実際にこの眼で見てみたい。