信仰者たちの歩みをたどりつつ、 殉教のこと、リバイバルのこと、 日々の出来事などをつづります
題 : キリスト教聖書は、必然的に、当然として・・・ . キリスト教聖書は、必然的に、当然として、すぐに今の姿に なったのではない。 今現在、キリスト教にあって権威のある方達も言います「極 めて疑わしい基準によって、古代の文献類から寄せ集められて 作られた」と。 そして、その選択する基準についても疑問を言う。 「『使徒的権威』『教えの正統さ』などの基準も疑わしい限 りだった」と。 故に、「それ以後の歴史は、その選ばれてしまった文献集( 聖書)の権威付けをする歴史であった」と。 偽名で書かれた手紙をどう扱うか?・・の問題など。 偽とするか、偽パウロとするか、いずれにしても、宗教的に 良い形にしたいという意思が働く、そこには個人的な意思が入 っていく、入り込まざるを得ない状況の中に置かれる。 もうここまで来ると訳者が宗教を作っていると言える。 訳者のキリスト教である。 そこには既存の宗派、大小を問わず、それらの宗派には都合 の悪い訳出になる所も出て来る。 それは、「キリスト教の原点には、今の宗派と違うもの・考 え・教義があった」という事。 故に、それらは、必然的に生じる、実態・事実の結果なので ある。 キリスト教の教義は、この様な薄氷の上に存在しているもの なのである。 この様な教義から、過去に多くの戦争が生まれた、多くの方 々の命が失われた、そのことが、悔やまれる。 参考URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 / URL: http://32983602.at.webry.info/
貴重なご意見をありがとうございます。まだまだ学ばなければならないことが多いいようです。私たちは、聖書・66巻は、誤りなき神の言葉と信じ受け取っています。神様は愛のお方です。私たちは、生きておられる神様の守り、助け、めぐみを日々体験しています。これからも学びつつ、歩みを続けて参りたいと思っています。
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2 件のコメント:
題 : キリスト教聖書は、必然的に、当然として・・・
.
キリスト教聖書は、必然的に、当然として、すぐに今の姿に
なったのではない。
今現在、キリスト教にあって権威のある方達も言います「極
めて疑わしい基準によって、古代の文献類から寄せ集められて
作られた」と。
そして、その選択する基準についても疑問を言う。
「『使徒的権威』『教えの正統さ』などの基準も疑わしい限
りだった」と。
故に、「それ以後の歴史は、その選ばれてしまった文献集(
聖書)の権威付けをする歴史であった」と。
偽名で書かれた手紙をどう扱うか?・・の問題など。
偽とするか、偽パウロとするか、いずれにしても、宗教的に
良い形にしたいという意思が働く、そこには個人的な意思が入
っていく、入り込まざるを得ない状況の中に置かれる。
もうここまで来ると訳者が宗教を作っていると言える。
訳者のキリスト教である。
そこには既存の宗派、大小を問わず、それらの宗派には都合
の悪い訳出になる所も出て来る。
それは、「キリスト教の原点には、今の宗派と違うもの・考
え・教義があった」という事。
故に、それらは、必然的に生じる、実態・事実の結果なので
ある。
キリスト教の教義は、この様な薄氷の上に存在しているもの
なのである。
この様な教義から、過去に多くの戦争が生まれた、多くの方
々の命が失われた、そのことが、悔やまれる。
参考URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
貴重なご意見をありがとうございます。まだまだ学ばなければならないことが多いいようです。私たちは、聖書・66巻は、誤りなき神の言葉と信じ受け取っています。神様は愛のお方です。私たちは、生きておられる神様の守り、助け、めぐみを日々体験しています。これからも学びつつ、歩みを続けて参りたいと思っています。
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